10年刑判決 “非・常識的だ”
マスコミの誤報が火に油を注いだ世論によって、社会的にはすでに犯罪者として烙印を押された状態でチョン・ミョンソク牧師に対する判決がなされたならば、徹底的に、世論の影響から自由な判決が下されたのか再考してみなくてはならない。100人の泥棒を逃しても、1人の無念な人を作るべきではないという無罪推定の原則を思い起こす時、チョン・ミョンソク牧師の判決には常識的に理解しがたい部分がある。
性的暴行を受けたと自称する女性、検査結果は、性的暴行の形跡なし
特に2006年4月3日、中国アンサンで2人の女性が性的暴行を受けたといって、警察に通報した事件について、2006年4月5日、中国アンサン市中心病院の診断結果は“検査の結果、精液なし。正常。強姦を受けた形跡なし。”ということだった。当時、中国公安の通訳も“中国の病院の医者からキム某氏が処女膜に異常がないということを聞いた”と法廷で証言した。
2006年4月8日、韓国警察病院の診断結果もまた“処女膜に全く損傷がなく、いかなる形態としても性的暴行の形跡を見出すことができない”ということだった。国立科学捜査研究所の精液検査結果もまた陰性反応だった。
しかし、2006年4月10日、告訴人の中で、キム某氏は、再度警察病院で診療を受け、最初とは異なり、小さな裂傷があると診断された。この裂傷は告訴人が主張する深刻な破裂傷ではなく、“自転車に乗っても発生し得る傷”と当時の診療担当医師は陳述した。
裁判官が証拠採用せず?
この裂傷は犯罪捜査のための正常な警察病院の診療手続きと異なり、患部に対する写真撮影すらされていなかった。
告訴人たちは、2006年4月18日、記者会見で、“ひどい性的暴行を受けて歩行が困難なほど深い傷ができ、下血をした”と発表した。しかし、事件現場にあった当時のCCTV(防犯カメラ)判読の結果、この2人の女性は、笑顔で、歩き方も不自由に見えなかったということだ。被告人の弁護人は、このようないくつかの情況上、告訴人が自傷したという疑いを持つほかないと主張したが、受け入れられなかった。
中国で調査し犯罪なし、韓国裁判所は審理終結
2007年5月、中国の公安に婦女子性的暴行の嫌疑で逮捕されたと知らされたチョン・ミョンソク牧師が2008年2月、無事に韓国に送還されたことも、(判決が)疑わしい理由のひとつだ。中国で強姦犯は麻薬犯と等しく扱われ、国籍にかかわらず厳しく処罰することで知られている。中国捜査機関で、チョン・ミョンソク牧師が強姦犯であるという嫌疑があったなら、やすやすと韓国に帰しただろうかという疑問が残る。しかし、チョン・ミョンソク牧師に対する判決で、核心的な争点であった中国での捜査資料は、残念なことに韓国法廷に提出されることはないまま、終結した。
獄中でも絶えることのない祈りと御言葉
チョン・ミョンソク牧師の作品は芸術家の精神を含んでいる。獄中で書いた詩集は、苦痛と忍耐のなかで練達を受けて初めて悟れる深い人生の真理と思想を含んでいる。
チョン・ミョンソク牧師の著作生活は獄中でも途切れることなく続いている。聞くところによると、これまで4年9カ月の獄中生活の間、チョン・ミョンソク牧師が書き記した御言葉、黙想の詩は既に数千篇に達するという。